「明治維新の正体」 鈴木莊一
私は大学に入ってからしばらくして、友人から司馬遼太郎の書籍を勧められて読み始めた。「竜馬がゆく」から始まり、幕末から明治に至る時代の歴史を、小説を通じて学んだのである。司馬遼太郎の本は、大量の歴史的な資料などを使って書かれているために、史実に近いものだと思っていたのだが、明治維新については、ここ数年で私の評価が変わってきた。
そのような変化をさらに裏付けるような書籍がこの本である。著者の名前は全く知らなかったが、著者は水戸学への関心から大政奉還について考える中で、この本の執筆に至ったのだと述べている。私は、別の関心から水戸学について調べている最中だったので、この本を見つけたことは偶然ではなかったかもしれない。
日本の憲政の原点に「五か条の御誓文」がある。これは坂本龍馬や由利公正などの影響が説明されることが多いものだが、著者はこれは徳川慶喜の「大政奉還上表文」にその原型があると説明している。そしてその中で徳川慶喜が日本に英国式の議会制民主主義を導入することを望んでおり、それを構想していたというのである。
歴史の難しさは、薩摩や長州の「勝てば官軍」の側からの説明だけで歴史を見ると、その半分以上は見えなくなることだ。日本がペリーの来航以来、海外との対応や国内の問題に対処する際に、幕府の要人は非常に苦労し、苦心し、努力していることがわかる。しかし、薩長から言わせれば、幕府では日本がもたない、倒幕あるのみという具合になっていくわけである。
幕府も薩長も目指すところは実はある程度近かったのにもかかわらず、多くの犠牲をともなった明治維新となった。もちろんに日本の明治維新は無血革命などと言われるくらいに犠牲は少なかったと言えるのかもしれないが、幕府や時の雄藩が本気で協力していれば、さらにスムースな近代社会への移行が可能であったのではないかと思える。
薩長はしょせん、関ヶ原の復習戦を演じるために、戦争に持ち込んで徳川幕府をつぶそうとしたわけであり、これは日本国のことを真に考えた在り方ではなかったのではないかということは言えるかもしれない。薩長の倒幕のやり方はまさにテロリズムであり、違法なことはもちろん脅迫、殺戮、詐欺まがいの、目的のためには手段を選ばないものであったことは事実である。この本ではだから西郷隆盛などに対する評価も著しく低い。というより、西郷をテロリストだと位置づけているのである。敬天愛人などという美しい言葉とは裏腹の言動を無数に行っており、その一つ一つを知れば、西郷ファンは驚き幻滅するに違いない。
しかし、これが史実というものであり、徳川の立場から語れば、明治維新はテロによる政権の転覆であったし、徳川慶喜は日本のことを考え、議会制民主主義をも構想して、260年続いた権力を自らなげうった愛国的真の為政者ということになろう。
明治維新は、結果的にイギリスが薩長に肩入れしたために、薩長の有利に動き、結果的にその好戦的な影響を明治政府が受け継ぐことになったわけである。日本人が日本人のために日本人だけで近代化することはそれほど難しくはなかったように思えるのだが、結局は外国の介入を許し、その力をかりて維新は成し遂げられた。
今考えると、公武合体の思想やそれによる国難の回避こそが求められるべき解決策であり、正しい道であったと思われてならない。それを模索した人々も多くいたのだが、結果的にはその理想がかなえられることはなかった。
水戸学はあの有名な徳川光圀に始まるが、彼の理想をもう一度見直し、今後の日本の在り方に活かしていくべきだと思う。その意味でも、本当の水戸学を検証していくことが我々に求められているのである。水戸学は観念的な危険思想だと誤解している人が多いのだが、実際にその姿を見れば、健全なナショナリズム、柔軟なプラグマティズム、という方が正しい。
これまで教科書レベルでしか歴史を学ぶことがなく、テレビや大河ドラマのレベルでしか歴史を知らない人に、全く逆から見た、別の観点からの歴史、勝ち組の虚飾と隠ぺいに満ちたものでない歴史を知るためのきっかけとして本書を勧めたい。歴史理解の困難さを知ることもできるだろう。歴史というのは簡単な筋書きで理解し、後の世代の人間が簡単に評価したり善悪を決めつけたりできるものではないのである。
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