「日本思想史新論」 中野剛志
日本の代表的な思想家、伊藤仁斎、荻生徂徠、会沢正志斎、福沢諭吉の共通点をプラグマティズムや健全なナショナリズムの観点から論じた本だ。
思想と言えば、西洋思想が話題になり学びや研究の対象になることの多い日本だが、足元の日本人の思想の中に、日本の苦境や困難を乗り越えるための思想の核があることはほとんど言及されることがない。しかし、この著書を読むと、西洋思想さえも超える高度で深遠な思想が、日本の思想家の中にあることがわかる。
西洋の合理主義思想を超える観点は、西洋からも出てきてはいるし、かつて構造主義や脱構造主義などと言った形で提起されてきたが、西洋に学ぶまでもなく、日本人の中にそれを超克する思想家がいたことがわかる。
日本にはすでに現実的で、柔軟で、それでいてしたたかな思想があるわけだ。日本は遅れていて開国によって発展や進歩してきたという開国史観もあるが、日本人の思想家たちは外国から学びつつも、日本人らしいやり方と柔軟さで独自の思想を練り上げてきたのである。
私も日本を再生させるカギは、日本思想の研究にあると思っている。西洋思想は参考にはするが、日本は日本の風土や歴史、伝統に即したやり方で、社会や国家の設計や運営がなされていいと思う。
特に、グローバリズムが席巻する世界で、最も大切なのは多文化共生などよりもまずは、自国の文化や社会、歴史のアイデンティティを確認し、そこを足場にすることである。そのような足場もなく世界(特に欧米)のやり方を無批判に受け入れてきたことが、日本の国の形を崩壊させ、ただただ欧米に追従するだけの愚かな選択を生み出している。
日本の大学でもグローバルなどという言葉が氾濫し、多文化共生や多文化理解が流行しているようだが、自国の文化も十分に知らずして、多文化やグローバルなどありえないだろう。
上に挙げた思想家に共通しているのは、健全なナショナリズムと海外からの影響を自分たちの意思と基準で取捨選択していく強さ(ある種の攘夷思想)でもある。そのような観点から日本の思想を読み直し、日本人の日本人による、日本人のための思想を確認し、そのうえで多くの海外の素晴らしい思想や制度から学ぶべきであろう(このようなあり方が、健全な国民国家の在り方だと思う)。
日本という国は自国のアイデンティティを失いつつある。これをグローバル化などと言って喜んでいる輩もいるし、それを推進している輩もいるが、それは日本が日本でなくなることを推し進め、透明で骨のないクラゲのような国家を作ろうとしていることと同じなのである。クラゲは意思なく浮遊する。
それは「日本」がなくなること、つまり亡国をも意味している。自国を失った民族がどのような憂き目を見るのかは、歴史が証明している。日本人は本当にそれを望んでいるのだろうか。
この本からは非常に多くの示唆をもらったと思う。特に荻生徂徠や会沢正志斎の思想は私もきちんと読んだことがなかった。私は日本では、聖徳太子や福沢諭吉、そして西田幾多郎の思想の中に、日本思想を再生させる大きな可能性を見出していた。しかし、それ以外にも日本精神を体現した思想家がまだまだ存在したわけである。
この本をヒントに、また日本についての学びを深め続けたい。
(BOOK OFFにて110円で購入)
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