「ダ・ヴィンチの謎 ニュートンの奇跡」三田誠広

「ダ・ヴィンチの謎 ニュートンの奇跡」三田誠広


ダ・ヴィンチの謎 ニュートンの奇跡

宗教と科学の関係?神の作った世界に挑んだ多くの偉人たちの物語である。三田誠広氏の著書を最初に読んだのは「僕って何」という、氏が芥川賞をとった作品だった。学生運動の盛んだったころの学生たちのことが書かれていた本だったと思うが、なにせ私にとっては経験のないイメージしづらい世界の話でもあり、あまり印象に残ってはいない。ただ、「僕って何」という実存的なしかし社会的な問いかけが私の心に突き刺さって、それから氏の作品には注目するようになった。

多くの作品があり、歴史上の人物に関する伝記的な作品も多く、その教養の幅は非常に広い。また、大学で小説の書き方のような講座を持っていたこともあるようで、それが書籍にもなっている。私の中では、中学生などの推薦図書にもなった「いちご同盟」が印象に残っている。

さらに、このサイト(ブログ)のテーマである「学生時代をいかに生きるか」にかなり似ている題名の書籍もある。「大学時代をいかに生きるか」という本だ。このような本があることは全く知らなかったが、自分のサイトの検索をかけたときにこの本の題名が並んで出てきたのには驚いて、すぐに買って読んでみた次第である。その本は最近?の学生に対するメッセージが書かれている。氏が授業中に出会った大学での今の学生たちと、三田氏が過ごした大学時代の学生たちとの乖離へのある種のいら立ちが表現されていて、共感しながら読ませてもらった。

そのような意味で、何となく他人とは思えない著者なのだが、このダ・ヴィンチとニュートンに関する本も、私の認識と一致している面があり興味深かった。私はこの世界は何らかの意図をもって創造された世界であると思っているのだが、神と言う概念と科学は全く矛盾しないどころか、科学者に信仰心(神の存在とその作られた世界を信じるということ)がなかったら、科学は発展しなかったであろうと思っている。

その意味ではこの神の作られた世界を探求しその原理を解き明かすという面白さやスリルは、科学的発見をしてきた多くの科学者が共有していたものだろう。

この本では、多くの科学者の探求と発見の歴史がつづられているが、最後にパスカルの「パンセ」の言葉が引用されている。「人間は考える葦である」という有名なあの一節だ。

私個人としては、神は世界を作って人間をそこに投げ入れられたのではなく、実は人間と日々対話しながらこの世界を人間と共に創造し続けているのだと思っている。人間の在り方がこの世界や宇宙の在り方に影響を与えているのだ。

その意味で、人間に「考える」という力があることは、人間には神そのものと同様の性質があり、人間そのものが小さな神なのだと思える。そして神は人間のうちにも外にも存在していて、思考するエネルギーとして、この世界を取り巻き、育み、成り立たせているのだろう。

西洋の歴史の中ではキリスト教の影響は無視できないが、この本でも取り上げられているように、私はやはり「グノーシス派」こそが、重要な位置を占めていると思う。「グノーシス」は「認識」を意味するように、この認識が実は既成のものに対する認識、ではなく人間の認識の仕方が世界に影響を与え、変化をもたらす力を持っているのだと思っている。

哲学では「存在論」と「認識論」が議論されるが、これも実は本来おなじものなのではないだろうか。

私が大学院で研究した「暗黙知」で有名なマイケル・ポラニーは「知と存在」(Knowing and Being)という著書を書いている。知(認識)と存在は同じものだという信念は、その当時から私の中にずっとあったものだ。

この本を読んで、学生時代に感じていた様々な直観がまた蘇ってきて、とても楽しく幸せな気持ちになった。このような世界を探求することはとても楽しいものである。この本では私が十分には知らなかった科学者の生涯やその仕事がわかりやすく書かれていて勉強になった。読みながらまた、学生時代の続きをやりたくなる本だった。

(BOOK OFFにてクーポン利用で10円で購入)

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投稿者:

山道 清和

日本の未来への発展と繁栄のために、日本の学生には自分から学び、考え、自分の意見を持つことのできる人材になって欲しいと心から願っています。就職や公務員試験に関する相談も受け付けています。遠慮なくどうぞ。

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